何気ないものこそ、日常をきちんと、ていねいに感じるために。

今日の決意!何かにつけてPCデスクの前に座る時間を削減する!これはきっと得るものは大きいことを確信する。PCの持つ、その素晴らしき性能と利便性からすぐに何かを検索できる環境にばかり浸ってその代わりに手元のカフェやごはんをきちんと味わえなくなっている自分が嫌になったことがきっかけだった。
依存とまではいかないし、PCから離れようと思えば離れることはできる。だけど夫がただいまと仕事から帰宅したときなんかに、たとえ夕飯は作ってあってもいつもパソデスクの前にばかり鎮座して検索画面にくぎ付けになっている私の姿ばかりを晒し続けていることに私自身が耐えられなくなってきている。率直な気持ちとして、もし逆の立場だったら私とて「ほかにやることないのかよ?」と言いたくなるだろう。
しかもPCやネットというものはリラックスできるようでかえってリラックスを削いでいる部分が実際ある。検索で今は何を見ようか、あるいは次に何を調べようかとアタマや神経がそっちに先走ってしまいがちなことから、一杯のカフェやごはんのありがたみや温かみを感じることをないがしろにしたり、まるっきりないがしろにすることがなかったとしても感じるということそのものをかなり鈍感にしてしまうことは確かだ。これはだいぶ損をした気分になる。
このため、明日からは好きな音楽をとりあえず検索してBGMとしてかけながら、ごはんはパソデスクじゃなくてちゃんと食べるための食卓に着いて味わって食べることから日常を感じることを再開したい。上手に使えば素晴らしいツールなのだから。

何気ないものこそ、日常をきちんと、ていねいに感じるために。

ゆったりとした暇の中であたしはたばこを買いました。

昨年の夏場のことです。お盆に所帯がそろいました。久しぶりに全員が揃いました。夫人が計画していた小ピクニックに出かけました。大きな川の上流のログハウスを目指し愛車を走らせ、清々しい木々にわたってを縫って目的地に着いたのです。大気もフードも美味しく感じました。せせらぎのノイズが喜ばしく感じた歳月、たばこが切れているのに気付いたのです。いつもの癖でコンビニエンスストアを探したのですが一軒もありませんでした。静かな通りの電気屋くんに寄って近くにたばこは売っていないかと訊いてみました。にこやかに女子がこう言いました「あそこに黄色い庇があるだ?そこに売っていますよ。ガラガラ時は向かいの在宅に本音をかければ大抵たばこ屋くんの中年は、なので筋道をしていますよ」という。不思議な言明でしたが、その通りでした。ゆったりとした期間の中で我々はたばこを買いました。そこには第三者とコネクションが確かにありました。また、第三者という自然の結び付きも受取ることができた思いがしました。http://thecw.co/ryokin-matome.html

ゆったりとした暇の中であたしはたばこを買いました。